日本最北端の洋上に浮かぶ利尻島の利尻岳。
夏は日本百名山の一座としてにぎわいを見せるが、積雪期に訪れる人はまだ少ない。
悪天候と季節外れの積雪が予想され、天気予報は脅しをかけてくる。
稚内までの道のりを心配して念のため冬タイヤを2本積み込んだが、出発の朝、杞憂に過ぎないと判断して夏タイヤで札幌を出発。この時期の利尻通いはもう40年も続いている。
連休初日というのに道路は意外と空いていて、5時間で稚内に到着。
シャッター街の中心部で唯一、営業中だった「ラーメン大王本店」で昼食タイム。
こののち、我々は5日間で4回もラーメンを食べることになるとは、この時点で誰も気づいてはいなかった…。
稚内発鴛泊行のフェリーは波も穏やかで、16:30には島に到着。
船内には「滑りに来た!」というグループが数組。
我々は出迎えを受けて、おなじみのペンション「レラモシリ」にチェックイン。
翌朝、7時に朝食(ホッケ定食)を食べ、東北稜の取り付きとなるオチウシナイ沢の林道まで、俊哉オーナーに送ってもらう。
歩き出して5分で休憩。「暑い」
天気予報に脅されて、厚着をし過ぎたようだ。
ジャケットもズボンも脱いでタイツマンに変身して尾根上の積雪をたどる。
通常、東北稜へは隣のアフトロマナイ沢より取り付くことが多いのだが、残雪を繋ぐのであれば、断然オチウシナイ沢がオススメだ。行く手を藪に阻まれることもなく、最初のピーク1003には2時間ほどで到着。
ここで、アフトロより登って来た先行者のトレースに合流する。ハイ松だらけの稜線とわずかな残雪に彼らの苦闘の跡が見られる。
1003直下には彼らのものと思われるテン場跡があった。これから先は解けかかったトレースを利用して、目指す三本槍のキャンプサイトまでは、難なく到着することができた。時間は早いが雪庇を削って整地して快適なテン場が完成した。
わずかに持参した酒を飲みながら、黄昏タイムを楽しんだ。東北稜の日没は16時と早い。
夜半、テントから頭を出して頭上の銀河を堪能した。雄忠志内方面に町明かりはなく、星の天井に圧倒された。
朝4時、太陽は北海道から昇る。
今日も快晴。行く手に立ちはだかるローソク岩がまるで「早く登って来い。」と我々を誘っている。
カップヌードルにもちを入れて、この旅 二度めのラーメンを食べる。
もうちょっと暖かくなってからでも余裕だよと食後のお茶をゆっくり飲んでからテントをたたむ。
三本槍からはすぐにナイフリッジが連続するので、ロープを結んで出発。
風化で削られた靴幅リッジには頼りなげに雪が乗っているが信用ならない。
細かくビレーを取りながら通過。そして東北稜の核心部「門」が立ちはだかっていた。
すっかり雪が解けて、巨大な泥壁となって雪で凍りついているよりやっかいだ。
泥にアックスを打ち込み、頼りなげな割りばしのようなブッシュを束ねて掴む。
のっこして、3mほどクライムダウン。ローソク岩は左から捲いて窓岩のコルに到着。
ここはテン場にもなる広いスペースでザックを下ろして休憩。
ここから「佐々木大輔大滑降ルンゼ」に20mの懸垂下降。
支点は先行パーティーがハイ松から延長コードを取ってあったものにカラビナを1枚加えて降りることにする。
60mほど日陰の硬い斜面をトラバースしながら上がって行くと日当たりのよい場所に飛び出した。
ここからは斜度40度ほどの雪の急斜面を登り詰めていく。大きな岩を二度ほど右から回り込んで超えていくと
突然、西壁ローソク岩が視界に飛び込んできて、いきなり頂上となる。
陽が傾いて影富士が現れ出す。影はどんどん長くなり、島からはみ出して日本海へと背伸びを続ける。もうすぐ北海道まで届きそうなところで、影は薄くなってしまった。太陽はまだ隣に浮かぶ礼文島の上にある。そしてそれもまた、大陸の方へと消えて行った。
下山後、我々は利尻富士温泉へ、そして三度めのラーメンを「笑う門」で食べた。
「海鮮あんかけラーメン」1300円!見事!
その後は、することもなく「ペンションレラモシリ」で飲んだくれの人となる。
夕食時、お世話になっている「島のかあさん」がお土産の昆布を届けて元気な姿を見せてくれた。
秋に足の骨折したとの事で心配していたのだが、良かった。
毎年、島行者にんにくを山ほど採って帰るのだが、今年は意外に雪が残っていてまったく生えていなかった。
手ぶらで帰るのは忍びない。以前、美深のあたりで採った記憶があったので、時間のかかる名寄経由で札幌に戻る事にする。道北の中川町をちょうど12時に通ったので、出くわしたドライブイン「ぽんぴら」で天皇陛下を見ながら令和初のラーメンを食べたのっだた。
その後カーブの多い道を後続車にせかされながら走っているうちに大事なGNP(行者にんにくポイント)を見過ごすという痛恨のエラーをして、車は高速道路へと吸い込まれたのだった。
また来年!