ガイド合宿

1/10-11の二日間、日本列島を襲ったこの冬一番といわれる寒波の中、ガイド合宿に行って来ました。初日はパウダートレーニング@カムイリンクス!カムイをベースに冬のガイドをしているDAXに案内をしてもらい、内陸ならではのドライパウダーを滑りまくってきました〓

そういえば、DAXがライダーを務めている『FIELD EARTH』の板。
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全体的に浅いスプーンの様な独特な形状。乗ってみるとこれまた不思議ちゃんでしたが、慣れてくると未体験のスタイルで、パウダー内で走る走る!ピステでも見た事のない滑りを見せてくれる一本。新しい世界を求めているあなた!要チェックでございます。


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夜はDAX父ちゃんの別荘にお世話になり、木と薪ストーブの溢れる温もりに癒された素敵な夜でした〓


そして二日目。
荒れ始めている上川地方を移動し、一路層雲峡へ。
国道沿いの駐車帯から、いつも合宿の時に?活躍する紐靴スキー。冬用登山靴でジルブレッタやディアミールのビンディングを履くスタイル。まだ経験値の少ない僕には行きは良い良い…です(笑)

途中左岸側に際どい通過を強いられました。一歩間違えればジャボン…!

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小さな沢の近くでは針のように鋭く綺麗な雪?の結晶も↓↓

P1119199.jpg もっと間近で見たかった。


そしてそして今日のターゲット、『ブルーウルフ』。

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内陸&北向きということあって見事な凍りつき〓


予報ほど寒くなくいざ取りつくものの、手足はかなりジンジン病に!

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負けじと頑張るおだっち&僕…!涙が出そうな位、手の感覚がぁ…なくなる…。
秘密兵器・足用カイロは絶好調。極めつけは栃木から冬になるとやってくるK田さんのアイデアで手首の内側にカイロを貼る貼る大作戦。これを伝授されていた親分のみが、部分的にその恩恵にあやかっていたそうな。。。


2本登って早めに上がり、冷えた体に我慢をさせて札幌へ。
案の定、道央道は美唄~江別東まで通行止め。混み合う12号線に別れを告げ275方面から江別東に裏道大作戦を決行!これが意外と上手く行き、途中視界5mと苦戦を強いられるも転身前の感じより1時間は早く札幌に着くことに成功!!スマホってスバラシイです。 (YOU・おだ・DAX・み)

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ドルフィン時代

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ノマド合宿で訪れたカムイリンクスでドルフィン時代の同僚O形と会い、久々に酒を飲んだ。
20代前半の俺達は、冬になるとテイネ山で合宿暮らしをしながら、三浦雄一郎&スノードルフィンのメンバーとして毎日、スキーレッスンに明け暮れていた。

酒が入って興に乗れば、手の付けようもない悪ガキどもだったな!
後列左がO形、右が俺…互いに相手の顔にマジックインキで落書き、ちなみに俺の顔はO形の仕業…

いつだったか、札幌グランドホテル1FのBig joguという店に皆で飲みに行った折、三浦雄一郎の「ヤレヤレ~」という声に乗せられた俺は店内の照明をジャック。真っ暗な店内でドルフィンメンバーの「ほ、ほ、ほ~たる来い!」の歌声が…。そこに、けつに火の点いた、たばこを挟んだ素っ裸のI嵐が皿2枚で交互に前部を隠しながら登場!嬌声をあげる一般客をしり目に店内を一周。

さらにその後は一升瓶抱えた俺がテーブルの上を走りまわりながら「ヨカチン踊り」で乱舞
店の支配人は止めに入るどころか、目に涙をためて笑い転げる始末

いや~、今考えると逮捕されていてもおかしくない。

このドルフィン馬鹿騒ぎの伝統は、その後大輔やタケへと引き継がれていく…のだった。

元祖三浦雄一郎のちゃぶだい返しについては、あまりに面白いので、また次回に…

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俺が所属していた30年前は、ドルフィン第2期黄金時代と言われていた時代だ。第一期は60年代後半、馬淵さんや土田さんらが三浦雄一郎とともに世界の山を滑って、映像として流れていた頃…

O形もHジメもI嵐も50歳をとうに過ぎた今も、スキーで飯食ってんだから、たいしたもんだよな、俺もね!

最近見た映画

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元旦にミッションインポッシブル4見てきました。正月割引で1000円でした。
トムクルーズ頑張ってましたね~。おじさんが、あんな真似したら、ギックリ腰で機能停止だね。

ロシア警察の銃撃から脱出して、相棒から「なぜ、あの場面で、そのような判断を?」と尋ねられ
「勘だ!」と一言。ん~、トムサイコー!

最近見た映画
「三銃士」 「猿の惑星」 「マネーリーグ」 「探偵はバーにいる」などなど・・
そして、おじさんのおススメは「宇宙人ポール」これ、見逃すな!

イギリスからやってきたオタク2人組と本物の宇宙人の涙と笑いのストーリー(み)

レジェンド

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女子ジャズ好きです。ケイコ・リーとか樹里からん、そしてミーシャも…。
昨年末にでたカバーアルバムの中でマイケル・ジャクソンの「heal the world」なかなか、良かったですね~。

で、元祖マイケル・ジャクソンのheal the world聞き直してみたら、やっぱりこちらの方がスゴイ。
もともと、マイケルはI,ll be therとかthe girl is mineなどやさしく語りかける系が良かったんだよね!

生きていれば54歳・・・
もはやレジェンドですが

レジェンドと言えば、今年の俺の板!ディナスターのレジェンドってやつです。

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デザインおとなしめですが、かなり走ってくれます。
走れMyレジェンド、おじさん乗せてどこまでも~!(み)

週末のPowderトリップ

1/7(土)~9(日)のパウダートリップは・・・・〓




ニセコ方面へ決定です。
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7(土)キロロ周辺
8(日)ニセコアンヌプリ北斜面
9(月)チセ~ニトのラウンド

1日~2日間の参加も可能ですのでお問い合わせください。(おだ)

明けました

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新年やってきました~今年はどんな年になるのやら…

年末年始は、仕事やらスキーやら山やらと相変わらず忙しくしてましたが、なんせ酒飲む理由がいっぱいあるので、体重増加を心配しましたが、なんとか冬体重68kg、体脂肪15%をキープしました。

思い起こせば、昨年は酒を抜いたのは、アララット山の最終キャンプ4200mにいた時のみ。つまり364日、たっぷり飲んでたな~…今年は、あまり高い山に行かない予定なので、365日飲酒を達成できると思います。

ところで、羊蹄山新ルート「真喜茂Ⅲ」行きませんか!
極上雪質と大斜面です。
1月14日(土)7:00スタート  スキーでもボードでも・・老いも若きも誰でもOK

「ブログ見た」で2000円引きです〓

忘年会3連

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さすがに忘年会3日間続くとこたえるよ。

まず、ビールを中ジョッキで2杯。その後赤ワインを1杯。最後は25度のイモ焼酎をロックでボトル1本。
というのが3日間…。

そもそも、大酒飲みなのだが、忘年会となると、つい張り切ってしまう。さすがに翌朝つらいが、早起きして
山のお仕事へ!

ところで飲みすぎのせいか、最近物忘れがひどいぞ。
で、昨日は昔の山仲間の忘年会だったのだが、最後の会計の段でテーブルで割り勘を済ませ、店を出ようとしたら、またレジで金払おうとしてたぞ。「さっき済ませたよ」と言っても「そうだったか?」と来た。

よかったよ、おじさんは独走してなかった。


明日は早朝発で層雲峡だし、今日はもうさっさと帰って早く飲みだして、早く寝る事にするわ(み)

十勝合宿2日間

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北西稜をリードするYOU

海外やら研修やらで散らばっていたスタッフがようやく勢揃いして、恒例のカミホロ合宿へ。
俺自身、210回目のカミホロ登頂!

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ロープレスキュー風景

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先行する小田と前田

2日間の快晴だったが恐ろしく寒く、つま先mobage(もげそうでした。)

昨日のつづき

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さあ、準備を終えた俺達は「フランスうんこ野郎」と、けつ別して、ミディの南壁レビュファルートに取り付く。花崗岩のおおまかな岩を攀じ登り、2Pめは緩やかなカーブを描くハンドサイズのクラックが続く、通称レビュファクラックⅤも快適だ。

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頭上にはバレーブランシュを横断してイタリアまで通じている空中ケーブル。ギャラリーの目を意識しながら、ぐんぐん高度を稼ぐ。

あれ?なんかお腹が変、ギュルギュル鳴ってるぞ…〓 昨夜泊まったコスミック小屋周辺を流れている水をガブガブ飲んだのが、良くなかったか?そういえば小屋周辺にも、けっこう汚物があったなぁ…。ヤバイ、耐えがたいぞ。

そうとは知らず、相棒は5ピッチめの途中で奮闘中だし、すぐ頭上には満員のケーブルカーが!
「そうだ、さっきのフランス野郎だって、所かまわずだったじゃないか」
もうだめ、ビレーしながら半けつになり、岩壁で失礼する。・・・・・ふぅ~

「お~い、ザイル来ないぞ~」と上から相棒
「わ、わ、悪い~」ザイルを繰り出し、大急ぎでズボンを上げて登りだす。

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ケーブルから見たクライマー

せっかく憧れのアルプスに世界中からやってきた観光客が見た光景は、大岩壁と氷河、そしてありえない珍百景…

出物、腫れもの、所かまわず…昔の人はうまい事いいましたね!

という訳で、鼻くそ女も大目に見る!(み)

鼻くそ女とアルプスの脱糞男

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先日、地下鉄に乗っていたら札幌駅から乗車してきた40代とおぼしき女性が座席に座るなり、紙袋から、から揚げ棒を取り出して食べだした。おいおい、市営地下鉄は旅の列車じゃないんだぞ!よほど腹減っていたか、忙しいんだろうなと見ていた。

そしてその数日後、俺は見た〓 鼻くそ女を!

朝9時頃の地下鉄、同じ駅から赤いダウンの20代のわりとかわいい子が乗った。
おじさんはいつものように、入口近くの柱にもたれかかり、本を読んでいた。すると目の前の鏡に驚くべき光景が…!

そのお嬢さん、自分の鼻の穴の中に指を突っ込んで、鼻くそかっぽじっているではないか!時間にして7秒くらい。いや~、すごかったな。ようやく取り出した鼻くそはティッシュにくるんで始末してましたが・・。
対面座席の地下鉄で若い子が鼻くそほじるなよ~

時は変って、若き日のおじさんの思い出…
所はフランスのアルプス

目標は栄光と悲劇の舞台、モンブランフレネイ中央岩稜と鼻息は荒い!
まずは、手始めにエギユド・ミディの南壁、ガストン・レブファのルートへ。
5級のレビュファクラック、そして最後に待ち構える5級の振り子トラバース・・

緊張感みちみちで、取り付きの氷河の上でザイルを結んでいた。
そこへ大柄なフランス人がボンジュールと言って現れ、いきなり俺のすぐ横1mの所にしゃがみ込んで
「うんこ」しだしたのだ〓しかも、うんこしながら「どのルートを登るんだ?」と尋ねてきた。

うんこしてる奴と話したくないなぁと思ったが、相手はお構いなしに色々と話かけてくる。
「う~む、どうやらフランス国では、これもあり」なんだと感心した。

ところで、この話には続きがあるのだが、長くなるので、また明日!〓

週末らへん

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けっこう来てますね~ 雪、幸、由紀さおり…っといっきに冷え込むオヤジギャグ

週末はテイネ、結婚祝い、前十勝・・と滑忙し〓

まずテイネ・・ハイランドゾーン
Jバーコース(今はパノラマだが、パラノイアコースと言う)が◎
コース脇やら藪の中やら、奥の方やらお客さんと共にイエェ~イしまくる。

夜はノマドボーダーズ(14~5年前、ノマドBCツアーの黄金期の客で、今はみんなオーバー40)の「ジャイアン」の結婚祝いに呼ばれる。「あの頃は楽しかったなぁ・・」をみなさん連発、時の流れを感じました。おふたり、お幸せに!

明けて、翌朝!
博士の待つ十勝岳温泉白銀荘をめざす。

ここで博士について紹介
この春、ノマドの富士山滑降ツアーに茨城県つくばから初参加した60代男性、金持ち!
いろいろ問題をおこし、俺に怒られるのだが、全然めげないタフガイ!

ノマドカーが上富良野に入る頃、現地集合していた博士から連絡が入る。
俺:「あと20分くらいで着きますんで・・」

雪降る白銀荘駐車場にて博士と合流!
「お待たせしました。急いで支度しますんで・・」
食料詰めて、ビーコン付けて、シール貼って・・お待たせしました~ん?」

博士まだ、シールもビーコンも、それどころかパッキングもまだ!さらに待つ事10分
さっきから準備完了しているナンシーらの頭にはすでに雪が積もりだした。ヤバイ〓
パッキングを手伝い、ビーコンONにしてようやくスタート。

その後もスキーは外れまくるわ、行動食は袋ごとどっかに落としてくるわ、ゴーグルは使い物にならないわと色々とやらかしてくれるが、滑りはまぁまぁ・・

滑降終了後、白銀荘の湯に浸かりながら「2月のパウダーとアイスクライミングも来るからね」と陽気でした。

その後、博士はなんか「宇宙開発の仕事」があるらしく、任地へ向いました・・(み)






メジャー挑戦

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ついにダルビッシュもメジャーへ・・・(入札公示だからまだ決定ではないが・・)
全力投球して吠えまくる姿を大リーグの強打者相手に演じてもらいたいと願います。

だいたい日本のバッターは、ダルの力勝負に応えていなかったもんな。
わずかに中村や松田あたりが懸命に力勝負に挑んでいた感はあったものの、あとはコツコツと合わせて行くのが精いっぱいで、それで負け星が付いたりしてたんだから、面白いはずがない。

野球にしろ、サッカーにしろ、優秀な選手はどんどん勝負の場を海外に求めて出て行ってしまいますね~。

登山ガイドをめざす若者たちにも、その傾向はある。
アルプスやロッキーでガイドとしてやっていけたら・・・。
ただ、登山の歴史が浅い日本のガイドを外人客たちは、あまり評価をしてないという現実はある。

実際には、アルプスやヒマラヤでの日本人の活躍は目覚ましく、古くは平山ユージや山野井泰史、最近でも日本人が毎年ピオレドールに常連として名を連れねてはいるのだが、ガイドとして海外で成功を収めている人はカナダのY沢Jくらいかなぁ…。

そんな訳で日本人のガイドは、自分の顧客を伴って海外の山へ出かけて行くのだが、いわゆるアウェーな訳で、地元のガイドに冷たくされる。

マッターホルンなんかでは、スイス人ガイドに邪魔されるからね!負けないけど!

なにはともあれ、ダルビッシュ!
ケンプやヤング、ジーターなどの大物たち相手に存分に力勝負で活躍を期待したい。(み)



間宮 林蔵

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ご無沙汰ゴブちゃんです…(意味不明)

どうも11月は好きじゃないんだよね~だよね~

最近、吉村昭の「間宮林蔵」読みました。
蝦夷地ゆかりの幕末の探検家。それまで樺太は大陸と地続きの半島とみなされていたのだが、多くの探検家がその確認に失敗、そしてついに林蔵が苦難の末に最北端が海であり、樺太が島である事を確認する。

世界地図の中に唯一、日本人の名前が付いたのは、ここ「間宮海峡」のみです。

北緯50度から南は、かつて日本の領土であったのだがロシアの侵攻により、第二次大戦最終戦の地となり
盗られてしまった。

日本政府は国後、択捉島に関しては北方領土としてアピールを続けるのだが、樺太に関してはロシアの実行支配の地として、なぜか言及しない。

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何年か前になるけど、ロシアビザを取って行ってきました、樺太の山へ。
(ちなみに国後島は日本なので、ビザ取得して渡交すると憲法違反になります)

今だから告白しますが、到着した初日の夕食に睡眠薬盛られて、両替したルーブル全部盗まれました。
この話は長くなるので、省略しますが、ロシアひどい国です。

いつだったか、ロシアの原子力潜水艦が沈没した時に、乗組員が海底からモールス信号を送りつづけたんだけど、ロシア政府は見殺しに!しかも記者会見場で騒ぎ立てたおばさんに、服の上からブスと注射をして、途端に足元がくづれるという衝撃映像が、テレビで全世界に流れてましたよね。

お医者さんが言ってたんですけど「打った途端に効くのはそうとうヤバイ薬だそうで、あなたのは翌朝、目が覚めただけ良かったと思ったほうが良い」と・・・

今日のところは、そんなところで・・ぺんぺん!(み)

ネパールへ

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明日(11月12日)からネパールのゴーキョピークに登ってきます。
帰ってきたら(29日)には札幌も雪なんだろか?

小田

バックカントリー

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なかなか雪が降らないけど、ようやく寒くなってきたからもうすぐだな!
昔は「山スキー」・・今は「バックカントリー」て言うけど…

バックカントリーとは「裏山という意味です」って大真面目な顔で言ってるけどおかしくないか…?
三段山やチセヌプリは裏山ではないでしょう。

俺の子ども時代は、本当に山の中に暮らしていて、山から家の玄関までスキーで滑って帰ってこれた。あれが裏山だよ。バックカントリーは裏山ではなくて、正しくは「山の裏側」だろうな!

どっか雑誌かなんかが90年代終わり頃に、そう訳してしまったんだろう…たぶん。

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先日、自分のいた美唄の幼稚園を50年ぶりに訪ねた。
校舎の1階は今も(さかえ幼稚園)園児30数人いるそうです。

2階や体育館は美唄出身の彫刻家「安田 侃」の作品展示場「アルテピアツァ美唄」

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札駅や創成川、狸小路にあるあれです。

幼稚園時代、おゆうぎが嫌いでよく裏山に脱走したもんだ。
小林先生という女の先生が俺を捜しにきて、捕まってたもんだったな・・(み)



秋の夜長

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「このミステリーがすごい」通称「このミス」ファンの俺として気になった一冊
沼田まほかるの「9月が永遠に続けば」に引っ掛かってしまいました~〓
一言で片づけるならエロ重暗い!どうも女性作家のこの手の小説は後味悪いな…

他にもあげるなら角田光代の「八日目の蝉」 これも怖かったね~。
あと湊かなえ「告白」とか…

冬スケ、近日完成!(み)



CS

いや~、日ハムの2011終わっちゃいましたね~…
シーズン終盤の体たらくぶりから、勢いのある西武に勝てなさそうな気はしてただけど、やはり…〓

今シーズンの野球ははっきり言ってつまらなかった!
なんせ、飛ばないボールのせいでホームランが出ない。
中盤6~7回で3点差だと、もうひっくりかえらない。
野球の醍醐味といえば逆転でしょう!

バッターも長打はあきらめて、コツコツ当てに来る。
せっかくダルビッシュが全力勝負しても、力勝負に応じない。
いつだったかのソフトバンク戦のあと漏らしていましたよね。


だいたい、オリンピック種目から外され、ワールドベースボールにも辞退してるんだから
統一球、使う意味ないっしょ…。

見てて面白くない野球に未来はない!
日本の野球は飛ぶボールで、元に戻した方がいいんじゃないかなぁ…(MI)


孤高の人

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いや~、「森 文太郎」とりあえず、生きて帰ってきましたねぇ~。
k2東壁…あのまま、死んじゃうのかと心配してましたが、そこはさすが漫画!(ヤングジャンプ)

K2東壁へのこだわり、凍傷による手足指の切断など、「山野井 泰史」を重ねていたんだ。
この漫画、かなり重暗い感じだったんだけど、ミゾーのチタンアックスを特注したり、V字スレッドなど多様なテクニックを使ったりと細部までかなり辻褄が合っていて、「クリフハンガー」や「バーチカルリミット」のような、突っ込みどころはありませんでした。

どちらかというと脳天気な「岳」と違って、ストイックさがお気に入りでした。
また、完結の仕方も、あんな感じで良かったかと…。

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またまた、昔話になっちゃうのですが…
1980年代まん中頃の思い出
俺は仲間と北海道から谷川岳に登りに行く。東京に着いたその日、当時話題の常盤橋公園(江戸城の城壁跡)に寄り道してボルダリングをしていく事に…。ちょうど放課後時刻に高校生らしいのが学生服姿で現れて、同じようにボルダリングを始めた。その頃は、クライミングや登山が3Kの代表みたいな感じで疎ましく思われていた時代だったので、クライミングする高校生にちょっとびっくりしたのを覚えていた。
のちにわかったのだが、それが山野井だった…。

その日、クライミングを終えた俺達は上野駅のガード下に段ボールをひいてビバークしたのだった…。俺達もまた、「森文太郎」のようだったな…(み)

ピヤシリと海和

1975年、俺が高校1年生の時に名寄のピヤシリスキー場で全道高校スキー大会が開催された。当時の俺は205cmのフィッシャーのメタルのスキーを履いていたのを覚えている。
名寄と言えば、極寒の地!選手たちは前夜、TOKOのグリーンにブルーを少し混ぜたワックスをアイロン掛けしていた。こんな、硬いワックスは、普通あり得ない…。

試合当日、予想を覆して気温はそれほど下がらなかった。俺はスタート地点で大急ぎで、レッドを生塗りしたのだった。おかげで、他の選手が緩斜面で苦しむ中、俺のスキーは途中までは、良く滑った。順位は250人中30番くらいだったような…。ちなみに20番までが全国大会に出場できた。

その年の全国高校は北海道で開催された。当時の北海道には沢口(北海)石倉(北照)蘇武(第一)佐藤(三笠)のビッグ4と呼ばれる強豪選手たちが揃っていて、誰が全国チャンピオンになってもおかしくないくらい強かった。そして、山形からは新庄農林高校の海和敏宏・・・・

海和はビッグ4達を物ともせず、2位に5秒の大差をつけて優勝・・・ところが、フライングで失格となってしまった。当時は電光管計測ではなく、スタート係が無線で3,2,1、ヨシのコールを送り、ストップウオッチで計測するシステムであった。失格はともかく、5秒といえば7~80mの差だ。誰もが、その圧倒的な実力に唖然とした。

海和はその年、苗場で開かれたワールドカップに高校生として初めて参加して、世界を相手に13位に入る快走をみせた。そして、その後ワールドカップの第一シードとして何度か入賞を果たす。当時の王者ステンマルクをして「技術的のもっとも優れている怖い存在」と言わしめたほどであった。

引退後、海和はご存知「サロモン スキーNOW」で日本のスキーヤー全員を魅了した。
レーサーとしてだけではなく、フリースキーの楽しさやNZでパウダーを蹴散らすシーンは今でも鮮やかな印象を残している。そして、もちろん今も現役で滑っている。

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熊騒動

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あちこちで、熊目撃情報で賑わってるようですが…。いちいち、新聞に出さなくっていいっての!
190万人都市に熊が共存できるのは、世界でも札幌だけだろうな。スイスなんて絶滅ですから…

ところで写真は積丹半島先端のシシャモナイ岩壁なんですが、海岸から標高差250mを登り切った岩のてっぺんに、ノッツリと熊の糞があったのには驚いた。どちらも断崖、不安定…セルフビレーしてても危なっかしい場所で、熊公は日本海に沈む夕日を眺めながら気張ったのだろうか…と考えると楽しくなってくる。

だいたい熊の糞ってのは、登山道とか林道とかで見かける。藪こぎしてて熊の糞を踏んづけたという話は聞いたことがない。足場のいい広い所で用を足したくなるんだろうな!わかるよ!

一方、俺…
かつては、俺も山の用足しといえば、景色の良い所や、わざわざ岩のてっぺんに登ってやってました。
が…最近では登山者の急増に伴い、あちこちの山で糞害問題がクローズアップ現代!

ノマド社でも大雪山や知床、利尻などの名山ツアーでは、お客さんにも「お持ち帰り」をお願いしてます。

それでも登山者の少ない山では、そこらへんで済ましちゃうわけなんですが、なんとなく「野糞」は行けない事みたいな空気があって、人目をはばかり、藪の中へと忍び込む始末…。

熊は自由でいいなぁ・・としみじみ思う今日この頃(み)

サッカー

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昨日のタジキスタン戦、代表チームは数日前のベトナム戦とはまるで別のチームのようだったな!真ん中辺に中村とか遠藤がいると、全然変わるもんだね…。特に目を惹いたのは、194cmの長身ハーフナー・マイクの高い打点からのヘッド2弾。相手のディフェンダーより上半身一つ分、高かったね!

ハーフナーの父親「ハーフナー・ディド」はかつて、コンサドーレのゴールキーパーとして活躍した人だった。たぶん、当時中学生くらいであったマイクも、札幌に何度も足を運んでいたんだろうな…。

2002年ワールドカップ日韓大会の1次リーグは、札幌ドームでも3試合行われることになった。A代表の試合が北海道で行われるのは稀で、道内サッカーファンは多いに盛り上がっていた。そして、サッカー少年だった俺んとこの息子も…。


札幌ドームで行われるイングランド対アルゼンチン戦の入場の時に、息子の小学校のサッカー部がイングランド代表と手をつないで入場することになった。俊足FWで北区選抜チームにも選ばれていた息子は多いに興奮していた。当時のイングランドといえば、ベッカム、ルーニー、オーエンなどのスターぞろい。ところが直前になって「入場行進は4年生以下で」の知らせが…〓

日本チームも初の国内開催で多いに奮闘して、中田や稲本らの活躍で1次リーグ突破の快挙をあげる。

大会はオリバーカーン率いるドイツと得点王となったロナウドの一騎打ちとなったが、軍配はカナリア軍団にあがった。

2002年シーズンをJ1最下位で終え、2003年J2転落のコンサドーレはU20日本代表主将の今野泰幸を迎える。(2004年からFC東京へ)そして2005年から代表入りした今野はジーコや岡田監督の重愛を受け、その後ず~っとA代表として活躍する事となる。とくに、ザッケローニに変ってからは不動のデェフェンダーだ。

ハーフナーと今野、2人のコンサドーレゆかりの選手が、日本代表として活躍した事は、はしくれサッカーファンの俺としても、大変喜ばしい事だったので…(み)