リエゾンオフィサー
ヒマラヤでの登山隊には、各チームごとにリエゾンオフィサーと呼ばれる政府から連絡官が帯同するのが決まりだ。ネパールの場合は観光局の係長クラスあたり…。
この人たちは、とくに登山好きというわけではなく、どちらかと言えば イヤイヤ着いて来てる感じで
登山隊としても、やっかいもの扱いだ。本来の仕事は中ネ国境のヒマラヤをうろつく登山隊の監視といろいろな交渉事が役目なのだが、ベースキャンプまで来てしまうとテント暮らしとなるため、途中の村のロッジなんかに泊めておいて、登山終了後に拾って帰るのが通例だ。
1994年のアマダブラム遠征の際に帯同した連絡官も登山経験はなく「ナムチェのホテルで待ってるわ」と言うのを「その、なんかあった時があんたの仕事だろ」と無理やりベースキャンプまで連れて行った。
慣れないテント暮らしや山の食事はいかにも辛そううだったし、毎食ごとにベースキャンプの食堂で
食事を伴にするのはかわいそうでもあったのだが…
そのうち、山暮らしにも観念したようで、会話もするようになり、我々の登山の進捗状況にも関心を持つようになってきた。登山隊は成功して無事にカトマンズに戻ってからは、登頂証の発行やごみ回収のために支払ってあったデポジット金の返還などもスムーズに行う事が出来た。
その2年後、再びヒマラヤに遠征した折に観光局へ顔を出すと、その時のリエゾンが今回も志願して帯同してくれるという事だった。
ヒマラヤ遠征の場合、1年ほど前から登山申請を出して、登山許可を取得して現地入りしてからも何かと事務手続きが煩雑なのだが、彼の仲介で短時間で手続きを完了する事ができた。遠征機関は2か月半の長期に渡るテント暮らしだったのだが、前回のようなへなちょこぶりは微塵も見せず、最後まで我々と行動を伴にした。
その後は顔を合わせる事はなかったのだが、先日見た山岳雑誌に観光局副局長として、ネパールの多くの未踏峰を解禁する旨を発表していた。未踏峰の解禁は世界の登山家たちには、大変嬉しいお知らせである。
俺たちの山バカっぷりを間近に見て、少しは山屋よりの気持ちになってくていたのなら、ありがたい。
それにしても、出世したんだなぁ…